書籍・雑誌

『浮世の画家』An artist in the floating world カズオ イシグロ

この人の成長率っていったい・・・

文学ド素人の私が言うのもなんだけど、『わたしを離さないで』という2005年の彼の最も著名で新しいベストセラーをジャケ買い(書籍をこう呼ぶのかどうかは知らないけど)して読み、ほほうと思い、彼の昔の作品を買った。

それで・・・『わたしを離さないで』から20年ちかく前の作品だということはわかるけど、あまりに作風もちがい、どちらかというと飾りけなく骨太で直接的な表現が多いこの作品を読んで、人はここまで文学的に熟成・成長されていくものなんだなあと思うと、それは本当に、村上春樹の『風の歌を聴け』が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に化けた以上のものを感じる。ビートルズの『ラブ・ミー・ドゥ』が数年後に『サージェント・ペッパー~』に化けたように。

しょっぱなから全ての力をだしきっていないだけなのか、それとも年とともに文学やつれしていくタイプではないのか、『わたしを離さないで』のすごさが、あらためてわかる作品だった。
『浮世の画家』では、幼児の描写が飛びぬけている。主人公の画家の、孫の描写があまりにも絵に描くように生々しくありありとしていて、『わたしを離さないで』の施設ヘール・シャムの描写を髣髴とさせるものの、別人が書いたとしか思えない本だ。
『浮世の画家』は、たとえるなら、『愛』について『人を好きだと思うこと』を美しく述べルことは出来ても、『わたしを離さないで』でイシグロ氏はたとえば見つめる眼差の描写だけで、『愛』について描くことが出来る。
そしてそのほうがはるかにわたしたちの、個々の想像力に訴えかけてくるし、文学的に技術が要求される。

すごいな、って感じ。『わたしを離さないで』が。あの構成、あの灰色のような色を感じさせる独特の世界、催眠作用(悪い意味じゃなく、永遠に読んでいられそうな)、そして少しずつ閉じていくラスト。胸をつかまれる。
どっと泣きはしないけど、ゆっくりと、包まれる。
そのほうが、はるかに難しい。

芸術には、何事にもレベルがありますね。

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『わたしを離さないで』 カズオ イシグロ

Photoブッカー賞という、英国の芥川賞みたいな賞を受賞している著者の作品。

村上春樹氏が愛読しているということで平積みにされていた。ふと手にとってページを開けたら、主人公が自分は31歳です。と述べていることに惹かれて、購入してみた。

それは2009年5月28日。
私の、31歳の最後の日だったからである。

何を書いてもネタバレになるおそれがあり、このタイトルから想像出来るような小説ではない。
私は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『時計じかけのオレンジ』、そして数人の海外純文学女流作家の作品をいくつか思い出した。

カズオ・イシグロは日本人だが5歳から英国で育った。
だから、作品は英語である。
英語圏の人が書いたに違いない文章である(当たり前か)。でも感受性は、日本人と英国人の間を行き来している感じで、そのアンバランス加減がとても新鮮だった。
かなり長編だが、章ごとに、新たな事実が判明していき、そのたびに読者は、なぜまたこんな・・・こんなことが・・・と胸をふさがれるような気持ちにさせられる。

英語で直接読んでみたいものだ。

読み終えた後、これが事実に近い話だったら・・・自分がヘールシャムで育てられたら・・・と思うと異様な恐怖を覚える。
読みながら、自分自身も少しずつ死の匂いと、英国の空の分厚い雲を見上げるような、諦めの境地を呼吸して行く・・・。

こんな風景を心に持ちながら生きている事は、辛いんじゃないだろうか、イシグロ氏は。

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グレート・ギャツビィ 村上春樹 訳

今夜の1時半。
読み終わって、頭痛薬を飲んで眠気が降りてきたのでさっさと寝ないと・・・
明日はまた、現実に戻ってゆく。

実を言うと、村上氏が以前からことある毎に『グレートギャツビィ』のすばらしさについて述べており、氏にとって最も大切な小説であることは知っており、何度か現存する訳本を手にとって読む事を試みたが。

村上氏の指摘する通り、翻訳には言葉の古びる段階でどうしようもなく輝きが失われていくことがあり、それはいたしかないことではある。
しかし、言い回しが古臭い、原文の直訳が随所に目立ち集中力が途切れる、等の理由で最後まで読み通すことができなかった。そんなに素晴らしいとも思えなかった。

今日、本作を最後まで読みとおす事が出来たのは、ひとえに村上春樹氏の、やりすぎない翻訳と、彼なりの黒子の役の中にも、氏らしい言い回しがあまりに自然で物語りに没頭できたというのが強い。

『グレートギャツビィ』はたしかに優れた小説かもしれないが、私には一時期の村上春樹氏の小説の方がはるかにすばらしく感じる。日本人であるからだろう。
それから、海外純文学について、圧倒的に素晴らしいと思うのはカミュの『異邦人』であって、これはおそらく数百年後も色あせない傑作であると思う。
方向性は違うが、村上氏がフランス語に堪能であったら、『グレートギャツビィ』を一番の本に選ぶかどうか、わからないというと、すごく失礼かな・・・。

村上氏がこの本に強く引かれたのは、彼がこの本に出会った時期の感受性も大いに関係していると思う。
そして、氏が指摘する通りの文学的な崇高さ・・・も随所に存在する。

スコット・フィッツジェラルドは、かなりステレオタイプの私小説家タイプかな、と思う。
贅沢を好む・派手好きで驕慢な性格の妻・ゼルダに終始振り回され続ける40年の人生において、人を振り回す悪気の無い人間と、振り回され続ける人間の悲哀を・・・そして振り回されつつそこから文学的意欲を得られる限り離れることの出来ない感受性のもろさを、本質的な人生の不公平さを・・・あまりに見事に、ギャツビーとデイジーに投影している。

それは私が20代後半に抱き続けてきた強い想いであり、
氏がそれに礼賛を惜しまなかったのも理解できる気もする。とまれ、村上氏は、この小説の文体と言葉の美しさに心を奪われたようだが。

また、この訳本は長いこと『華麗なるギャツビー』というタイトルをいただいていた。
村上氏が、それをあえて『グレートギャツビィ』のままにしたというのは、Greate(偉大な、素晴らしい、華麗なる)にこめられたフィッツジェラルドの自虐的およびその純粋さへの崇拝という、おそろしく相反する形容詞の意味を、ただひとつに訳することができなかったためであろう。

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『走れメロス』~太宰治

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「メロスは激怒した。」

という印象的なフレーズで始まるこの短編は、学校の教科書に載っているほど健全で希望に満ちた作品です。

しかし、ほんものの太宰治は、常に自虐的に生き、自殺への憧れを持ち続けた人でした。
「走れメロス」が彼の作品の中で有名であることは、じつに皮肉だと思うのです。
太宰は、39歳の若さで心中を遂げるまで数回自殺未遂を繰り返し、薬物中毒、アルコール依存症、借金などに苦しみ抜いた人間でした。

この短編集の『東京八景』という短編はすごいです。

太宰の執筆生活10数年のうち、この短編集は比較的初期~中期にかけての作品を中心にしています。
 なかには、有名な『女生徒』のように、現代の枕草子のような、叙情的かつ詩的な作品もあります。これもまた、大変太宰治らしい作品です。
 これに比べ『東京八景』は、暗喩も隠喩もすくなく、ただぶっきらぼうに今までの自分を振り返って書きなぐっただけの、かざりけのまったくない作品です。

その中には、
「覚えておくがよい。おまえは、もう青春をうしなったのだ。」
という、実に印象的なフレーズがあり、この年の太宰と自分がひとつ違いだったのでただひたすら読み続けました。
薬中、大学からのドロップアウト、むこうみずな恋愛、心中・・・これが長編だったら絶対読み続けたくないけど、30ページほどの短編だったので、読み進み、甘ったれた男だ。小説を取ったら何も残らないな、本人が一番自覚してるけど。
と思うのですが、最後の1ページに思わぬ逆転があります。

本当の希望とは、悩みぬいた人の絶望のなかから生まれるものかもしれません。

最近は岩盤浴にハマっているのですが、太宰の短編はどれも20分程度で読みきれて岩盤浴にちょうどいいんですね。
汗をかき、極限まで自分を追い詰めながら、マゾヒスティックに苦しむ太宰の小説を読んでいると、ものすごく疲れるのですが、逆に、徹底的に自分を追い詰めるような妙な快感があります。

もうすぐ桜桃忌だけど、太宰治は60年後に自分の小説を、若い女がサウナで読んでいるなんて、想像もしなかっただろうな。

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『人のセックスを笑うな』 山崎ナオコーラ

Photo 山崎ナオコーラの小説作品。2004年11月に、河出書房新社より、2006年10月には河出文庫としてその文庫版が発行された。2004年の第41回文藝賞を受賞、翌年の第132回芥川龍之介賞の候補作にも選ばれた。2008年、井口奈己を監督に、映画化される。過激な題名とは裏腹に純粋な恋愛ドラマである。

19歳の男と39歳の女、年の離れた男女の恋愛模様を描く。

ご存知の方も多いと思いますが、松山ケンイチくんと永作博美さんで映画化され、今まさに放映されています。(映画は見ていませんが・・・原作ではユリは太目の中年女性なので、永作さんと言うのがけっこう意外な気もします。DVDが出たらみたいかもwink

とくに期待せず手に取ったのですが、けっこう衝撃でした。

それは文藝賞の選考委員も同じことを考えたらしく、高橋源一郎も田中康夫も絶賛しています。

30代になると、小説にしろ音楽にしろ、「これもなんかどっかで読んだようなことがある、誰かの真似のような・・・」というようにものをみるめがやたら厳しくなり、本当に新しい物や力のあるものにしか心を動かされなくなる気がします。

山崎ナオコーラさんのことは、出ては消えてゆくよくいる女性作家のひとりというイメージで・・・

その衝撃は思春期に吉本ばななさんの「キッチン」を読んだときと似ていました。

書店でふっと現代作家と少し前の文豪の本を買おうと思いつき、太宰治の『ヴィヨンの妻』と一緒に買ったんですね。

で、最初に読んだのがこっち。

なんのつもりもなかったのに、二冊とも不倫の匂い漂うここちよく暗い小説で・・・。

恋ということと、愛ということと、こんなにセンスのある小説家の文章は、ひさしぶりに読みました。

私にもこういう才能が欲しかった。

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『ヴィヨンの妻』 太宰治

Viyon 本の裏には、

新生への希望と、毫も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命がけで新しい倫理を求めようとした晩年の文学的総決算ともいえる代表的短編集。いずれも死の予感に彩られた作品である。

とある。

そうかもしれない。この短編集はすごい。

昔難解で理解に苦しんだ太宰が、今はこんなにも胸をつらぬく。表題作は、女癖の悪い借金癖のある旦那(暗に自分をモデルにしている)をもつ夫人の飄々としたいきざま。

きっとそれが、太宰が求めていた女性像なのだろう。

自己破壊への切なる願望がひと文字、ひとページに余すところ無く漂い、染み込んでいる。弱っているときに読んだから、頭から離れず、心が太宰治を呼吸してしまったみたいで苦しい。

このような影響力を、没後50年以上経てなお、誰かに与えることができるというのは、すごいことでは無いだろうか。

圧倒される。

表題作以外もすごい。

何の無駄も無く、どこにもがっかりさせられない。太宰治以外の誰でも無い、圧倒的な存在である。

町田康は太宰がきっとすきなんだろうな。

『夫婦茶碗』なんて、ヴィヨンの妻をすごく彷彿とさせるんですもの。

でも町田康の良い所は、けして真似ではなくてオマージュでオリジナルなところですね。彼も天才だから。

太宰が、長生き出来なかった理由のすべてが、その著作にあますところなく描かれている。この短編集も、そんな死への憧れを持ち続け、妻や家庭を裏切り続けた自分を心のどこかで美化している甘さが、つよく見られた。

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アンダーグラウンド、約束された場所で(Underground2)

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村上春樹氏によるノンフィクション作品。
1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件に関わる被害者と加害者。
死者12名、負傷者5510名を出す戦後最大の無差別テロとして歴史に名を刻むこの事件の、被害者からのインタビューを中心にまとめた「アンダーグラウンド」と加害組織オウムの末端にいる信者へのインタビューを中心にまとめた「約束された場所で〜アンダーグラウンド2」は久しぶりに没頭して読めた力作だった。

30歳位になると、村上春樹のセンチメンタリズムには多少食傷してくる。
初版は、1997年だが、私が手に取ったのは現在、2008年。
10年近く、この本を手に取らなかったのは、「村上春樹イコールフィクション作家」という図式が頭の中に強くあり、とてもノンフィクションを読む気にならなかったことと、事件発生当時私は田舎に住んでいて、まだ高校生で、この事件を遠く「東京はこわいところだ」と眺めていたからだと思う。
東京に住み、地下鉄の乗り換えが日常に不可欠な要素になってくると、事件の恐ろしさが生々しく感じられる。私は3年以上日比谷線を利用して通勤していて、沿線にも住んでいたので、小伝馬町での大災害はなんとなくリアルに感じられた。

ちょっと自分でも薄気味悪いけど、私は「約束された場所で」(パート2、オウム側のインタビュー)のほうを遥かに面白く読んだ。
最初に手に取ったのがこっちで、あまりにおもしろかったのでパート1を購入したのだ。
オウムの末端信者は、いわゆる世の中であまり他人に相手にされない「変わった人たち」なのだと思うが、物質への執着の無さや、精神世界への没入ぶりが、やはり一般人には理解出来ない部分もあり、一方で、とても共感できる部分もあるのである。
オウムの信者の幹部には高学歴のエリートが多いことが有名だ。私のいた大学にもオウムのサークルがあるという噂があったし、勉強のできる人が多かったので、浮世離れしている変人めいた人が多い環境だった。
自分も、考え込んでしまうタイプだし、著者村上春樹自身も、小説家という精神世界に没入する仕事で、どちらかというと「あちら側に共感しやすいタイプ」なのだろう。
オウムの信者・元信者は意外とすんなりと心を開いて村上春樹に心のうちを吐露している。

河合隼雄との対談では、「ああいう種類の人々(宗教に走ってしまう人々)を生み出す世の中には受け皿が必要」と主張している。これは現在のニート問題でも言えることだ。
村上春樹に同調してなんとなく、末端の信者や、洗脳に近い形で犯罪に関わった信者に対し、同情めいた気持ちを抱いて読み終わる。そして、パート1を読んでみると、サリンの被害で重度の後遺症をこうむった人の話が出てきて、サリン事件という大きな暴力が、いかに人を多数傷つけ、損なったかについてあぜんとする。
オウムという特殊な集団にいることで、価値観が世の中の通常人と完全に異なった人々と、普通に生活して何も悪いことはしていないし、それぞれの営みに懸命な人々にふってわいた突然の災害。完全な利害の不一致が印象的だが、不思議と、事件そのものに対して被害者も加害者もそれほど強い思いを持っていないというのがこの本から受ける印象だ。
被害者は、サリン事件当時の地下鉄の様子のフラッシュバックや、その後の体調の悪さに苦しんでいる。苦しんでいるが、不思議とオウムに対する激烈な怒りというのを持っていない。(死亡者の遺族や、重篤患者の家族はやはり激しく憎んでいる)が、比較的軽症の被害者の中には、オウムに対して同情めいた気持ちを持っている人もいる。これは驚嘆すべきことだ。
それは、オウム信者の中でも、とりわけインタビューに応じた人々たちが「自分たちは俗世を離れて静かに暮らしたいだけで、あの事件は一部の幹部にしか知らされていなかった。」と自分たちも事件に対して驚いたこと、失望したこと、失望しきれないことを話している。
教祖と幹部の暴走がもたらした悲劇は、軽症の被害者にも加害者の一部に否応無くされた末端信者にも、あまりに現実感がないものだったらしい。

とにかく面白いノンフィクションだった。

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ソイル SOIL 6巻

やっと出ましたネ。
朱色のカバーがいちだんと目をひきます。

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さてさてストーリーのほうは・・・蘇流村事件の件はいったん落ち着いたものの、本筋は「異物」をテーマに走り続けます。6巻では、鈴白一家失踪、おもに水紀の内部の謎をいちだんとフューチャー。
ヅラの横井巡査部長のマル暴時代の過去が明らかに。
自治会長の家にたてこもったそいるの中学生たちの異変・・・。

おもしろいんだけど、謎が続くと多少食傷しますね。

ブログ書き始めると、最初は自己表現とか自己満足のみで始めたのに、アクセス解析ばかりに目が行くようになる。
アクセス数を増やすには、ニュースなキイワードを入れ、写真や情報量を多くし・・・ないと、全国千位にさえ登場出来ない。そりゃそうですな。

人気漫画家って純粋なストーリーテラーなのかな。書きたいことと出版社の意向が追突して辛いんじゃないか。
「ソイル」6巻おもしろかったけど、ちょっと引っ張り過ぎだよね。コマ割りも多いし・・・。
2、3巻あたりのネタとちゃんとリンクしてる所が、長期連載むけだったのかなぁって思うけど
でも誰か入れ知恵始めたね。
他人の商業的思考回路が入り込んできている。


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私は貴兄のオモチャなの

岡崎京子の表題作を含む「3つ数えろ」「虹の彼方に」等の4本の短編集。
表題作「私は貴兄のオモチャなの〜I wanna be your dog」は、すごい。

星山星子 愛称:ホシ・・・・同級生の空知くんにぞっこん。
空知山野・・・空知くん。何度フッてもひるまないホシの愛情につけこんで、犬扱い。「ポチ」と呼んで、
SM、輪姦、なんでもやってしまう。
でも・・・本当は、空知くんは、こわいんです。ホシがあんまりまっすぐに自分を好きなので。汚したい、嫌われたい、自分はひどい人間であるということをホシにわからせてやりたい。お前なんか犬だとしか、俺は思わないんだぞ、と。

残酷な片思いのカタチ。こういう自虐的な恋愛をヒトはココロのどこかで求めているのかなぁ。

暴力描写と放送禁止用語まんさいの漫画なので・・・万人受けしないと思いますが。こういうめちゃくちゃな恋愛は(するヒトは少ないと思うけど)どこかで、とてもノーマルで清純なツルゲーネフとかキルケゴールの恋愛小説や思想に繋がっていると思います。よく知らないけれどネ・・

最期にホシは 殴られた痣だらけの手でアイスを食い、庭に水を撒きながら思う。

「それでも、アナタをアイス のだ。なんちって。」

はは。ははは。それは静寂の愛の物語。これを美しいと思うのは、一種の病なのかもね。

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